御蔵島には高校がありません。
だから、ほぼすべての子どもが、
中学を卒業するタイミングで島外に出てしまいます。
島の大人たちは、子どもが生まれるたびに、
「この子が15歳になるまでに、
どんな経験をさせてあげられるだろう。
どんな記憶を残してあげられるだろう」、
そんな思いで一生懸命です。
私も23年前に15歳で御蔵島を離れた一人です。
林間学校や花火大会、島外から交響楽団を呼んでくれるなど、
大人たちがいろいろなことをしてくれました。
当時は気づかなかったけれど、
それらがよい記憶として残っており、
子どもが小学生になるタイミングで
御蔵島に戻ることにしました。
島民みんなで子どもを見守る、育てる。
都会では常に親の目が届く場所で遊ばせないといけませんが、
ここ御蔵島ではそんなことはありません。
私は今、村役場で教育行政に携わっています。
子どものために企画を考え、汗をかくたびに
「当時の大人たちは、こんな風にしていたんだな」と
思います。現在は教員の働き方改革等により、
林間学校はなくなってしまいました。
でも、林間学校は私にとって御蔵島での最高の記憶。
代わりに何か別の形でできないかと検討しています。
ただ、大人たちがどれだけ頑張っても、御蔵島は御蔵島。
小中学生合わせてたったの38人。
だから、何かイベントをするときには、
一人ひとりの子どもに必ず役割がある。
文字どおり「全員主役」というやつです。
都会では自分がやらなくても、クラスの誰かが
やってくれたら完成してしまいますが、ここ御蔵島では、
全員が自ら動かないと完成しません。
そういった意味では、御蔵島で育った子どもは
自ら動ける人になれると思うし、
「何かやれることはないですか?」と
自ら聞ける人にもなれる。
私の子どもも15歳になるまでに
そんな人に育ってくれたらいいな。
Profile
15歳で御蔵島を離れ、38歳でUターン。
御蔵島に戻る前は、都心で営業職をしていた。
自分の子どもが1学年10クラスのマンモス校に入学することに
疑問を感じ、家族で御蔵島へ。